ポーテージ×インクルージョン➁

質の高いインクルーシブ教育とポーテージプログラムの役割

日本ポーテージ協会 副会長

西永 堅

  202299日国連障害者権利委員会から日本政府に障害者権利条約に関する勧告が出されました.その中で,教育においては,分離された特殊教育(segregate special school, の廃止と質の高いインクルーシブ教育(quality inclusive education)に関する国によるアクションプランを採用することへの勧告が出され,メディアでも多くとりあげられました.そこで,現在の特別支援学校は廃止すべきだという意見も聞かれています.今回障害者権利条約に関しては,建設的対話の重要性が述べられています.そもそもインクルージョン,インクルーシブ教育に関してはさまざまな考え方があり,国によっても取り組みがことなっています.国立特別支援教育研究所 「諸外国におけるインクルーシブ教育システムに関する動向-令和元年度国別調査から-」を参照しても,我が国が,特別支援学校に通っている子どもたちが多いわけではありません.英国は,この障害者権利条約を批准はしていますが,24条教育の部分は批准をしていなく,参考値になるだけかもしれませんが,日本の倍,特別支援学校で学んでいる子どもたちが多かったりしますし,スウェーデン,フィンランドも日本以上になっています.

では,インクルージョン,インクルーシブ教育とはそもそもどういう意味なのでしょうか?まず,インクルージョン(Education for all)というのは,ユネスコのサラマンカ声明が始まりだと考えられます.そして,サラマンカ声明の正式名称は,「特別なニーズ教育における原則、政策、 実践に関するサラマンカ声明ならびに行動の枠組み」となっております.つまり,インクルーシブ教育とは,特別なニーズ教育と考えることができると思います.では,特別なニーズ教育とは?と考えると,まず,英国のウォーノック報告(1978)を参考にすることができます.英国では,それまでは,障害種別の教育が行われていたのですが,同じ障害名でも子どもや年齢によって,症状は違いますし,障害種別にしてしまうと,障害の有無で二元論の発想になってしまい,つねに,グレーゾーンと呼ばれるような,ボーダーラインの問題になってしまいます.そこで,障害の有無ではなく,ニーズによって多様な支援の検討を行っていくことがインクルージョンの始まりだと考えることができます.それ故に,ノーマライゼーションやバリアフリーの発想が,「障害がある人とない人」がと表されるように,二元論の発想と言われるのに対して,インクルージョンは,「障害のあるなしに関わらず」という一元論の発想だと言われています.ちなみに,WHOの障害分類においても,ICIDH(1980)が二元論の発想に対して,ICF(2001)年は,一元論の発想だと考えられます.

つまり,障害があるから支援をするのではなく,障害のあるなしにかかわらず,ニーズがある方に対して支援を行っていこうとする考え方が21世紀型の思想ということもできます.だからこそ,健常者が障害者を支えなければならないという発想でもなく,障害の有無に関わらず困っている人に支援を差し伸ばしていこうという考え方ですので,障害がある方が,障害がない人を支えることも,社会参加においてはとても重要なことですし,ICIDHHandicapとしていたところが,ICFでは,Participation(社会参加)となっていることもご理解いただけると思います.
 だからこそ,インクルーシブ教育には,障害のあるなしに関わらず教育の質が問われています.障害のあるなしにかかわらず,同じ人間として,その人のニーズや発達に合った教育が必要とされているのです.これには,長い歴史の背景があります.本来,障害のあるなしに関わらず,誰もが教育を受ける権利を保障されなければならないのですが,第二次世界大戦後も,世界各国では,知的障害がある人の教育が保障されておらず,福祉の対象になっていました.そこで,1960年代後半から,知的障害がある人達の学習権を保障するために,養護学校の義務化がされてきて,我が国では1979年に養護学校の義務化がされました.この義務化は,障害がある子どもたちの学習権の保障ということでとても画期的なことだったのですが,その一方で,その学校は,地域の通常学校とは違う特別な学校だったという分離教育だったという課題もありました.その分離教育に対して,障害がある子どももない子どもも一緒に教育を受けることを主張した場の統合を目指した統合教育(integration)運動が世界で行われました.しかし,統合教育では,一人ひとりの発達に合った教育がなかなか難しく,ダンピングと批判されたことも事実です.そこで,分離教育でもなく,統合教育でもない,第三の道として,特別なニーズ教育であるインクルージョン,インクルーシブ教育が主張されているのが現在になります.

さて,世界においてインクルージョンとは何かという問題はとても難しく,イタリアのように公立の特別支援学校がないことをインクルージョンと呼んでいる人もいれば,元来の特別なニーズ教育が提唱された英国の教育がインクルージョンのモデルと呼んでいる人たちもおり,建設的な対話が重要だと言われているのに,むしろ対立が起きて,分断されてしまっていることも否めません.現在インクルージョンは,D & Iと呼ばれ,ダイバシティ & インクルージョンという多様性と共に語られています.多様性を尊重するから,同じ場で学べるのか?むしろ,学ぶ場も多様性が認められるのか?ここがポイントになっているのではないでしょうか?普通をめざすのか?普通という概念を拡げていくのか?対話が必要なところだと思います.

最後にポーテージプログラムとインクルージョンの考え方を述べたいと思います.ポーテージプログラムは,①個別の指導計画を重要視した個別指導プログラム,②親や家庭が中心のプログラム,③応用行動分析の原理と3つの特徴があります.我が国は過度に年齢主義が強く,課題が年齢できまっているため,発達が早い子は,常に簡単な問題が出され,集中して持続することができるのに対して,発達が周りよりゆっくりな子は,常に難しい課題がだされているため,合理的に学習できず,できない貯金を貯めた状態になってしまいます.つまり,発達がゆっくりな子ほど,その子の発達に合わせた教育環境が重要だと考えられます.もともと応用行動分析は,年齢変数を重要視しません.したがって,年齢で課題をきめるのではなく,アセスメントを重要視し,その子どもが達成可能な目標を設定した個別の指導計画を立てることを中心としているポーテージプログラムは,個別最適な学びを目指し,個々特別なニーズに応じた,教育支援,発達支援であり,まさに,インクルージョンを目指していると私は考えています.ニーズに応じた教育ですから,その子どものニーズを満たす教育ができるのであれば,当然に通常学級で学べることも重要ですし,より少人数で学んだほうがニーズを満たす教育ができるのであれば,それも重要な教育であると考えられます.

障害者権利条約においては,合理的配慮をしないことは差別にあたるとされ,合理的配慮がとても重要な概念になっているのですが,合理的配慮とは,何をもって合理的と考えるのかが重要になります.合理的とは,感情論や精神論ではなく,経済的にも合理性を検討するからこそ,誰に対しても公平で,長く続く支援ができる持続可能性を大事にしている考え方だと思います.そして,エビデンスベースドアプローチである応用行動分析の考え方も今後重要になるのではないでしょうか?


日本ポーテージ協会は,障害のある人達の権利条約とインクルージョンについて,今後もご案内していきたいと思います(広報)

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