放課後等デイサービスガイドライン改訂にあたって
日本ポーテージ協会 理事 大塚 晃
はじめに
令和6年7月4日、こども家庭庁支援局長から全国の都道府県知事等に「児童発達支援ガイドライン、放課後等デイサービスガイドライン及び保育所等訪問支援ガイドラインの改訂等について」の通知が発出された。その趣旨は、「放課後等デイサービスガイドライン」等を見直し、事業所の支援の質の向上を図るものである。
1.背 景
令和4年に児童福祉法の改正により、児童発達支援センターが、地域の中核的な役割を担う機関として、障害児を日々保護者の下から通わせて、高度の専門的な知識及び技術を必要とする児童発達支援を提供し、あわせて障害児の家族、指定障害児通所支援事業者その他の関係者に対し、相談、専門的な助言その他の必要な援助を行うことを目的とする施設であることが明確化された。(第43条関係)この児童発達支援センターの「専門化」が、今回の三つのガイドラインに大きな影響を与えたと考える。放課後等デイサービス(以下:放デイ)に関しては、対処となる障害児に、専修学校等に就学している障害児のうち、その福祉の増進を図るため、授業の終了後又は休業日における支援の必要があると市町村長が認める者を加えるものと拡大された。(第6条の2の2第3項関係)
2.具体的な放デイガイドラインの変更点等
(1)こどもは、家庭や地域社会における生活を通じて、様々な体験等を積み重ねながら育っていくことが重要である。そのため、「本人支援」に加え、「家族支援」、「移行支援」、「地域支援・地域連携」もあわせて行われることが基本であると。これら支援は、個別支援計画に基づいて行われる必要があるとされ、児童発達支援と同じものとなった。
(2)放デイの方法として、こどもの発達の過程や特性等に応じた、発達上のニーズの把握に当たっては、本人支援の5領域(「健康・生活」、「運動・感覚」、「認知・行動」、「言語・コミュニケーション」、「人間関係・社会性」)の視点等を踏まえたアセスメントを行う。その上で、生活や遊び等の中で、5領域の視点を網羅した個々のこどもに応じたオーダーメイドの総合的支援を行う。総合的な支援を行うことに加え、理学療法士等の有する専門性に基づきアセスメントを行い、5領域のうち、特定(又は複数)の領域に重点を置いた支援が計画的及び個別・集中的に行われる特定の領域に重点を置いた支援が提供される。この支援は一対一による個別支援だけでなく、個々のニーズに応じた配慮がされた上で、小集団等で行われる支援も含まれるとされた。
上記の支援は、従来の放デイガイドラインにはなかったものであり、児童発達支援の専門性に影響を受け、共通化されたものである。主に児童発達支援が0歳から6歳までの本人支援としての発達支援を引き受け、学齢期に継続して行うという意味では整合性がある。しかし、発達支援を含めた本人支援の主流である学校教育と調整が不可欠である、すべての放デイ事業所においてそれが可能かという課題が生じている。今回の放デイガイドラインは、従来のサービスを超えて拡大している。このような越境は、「不登校児への支援の充実」として報酬上評価されていることにも表れている。不登校児童の支援は、一般的にはスクールソーシャルワークが考えられる。その専門性は社会福祉士の資格や現場での長い実践が要求されるが、専門職の配置なく「個別サポート加算」という形で、放デイがどのように不登校児の支援に取り組むのであろうか。
(3)本人支援において、従来からの「日常生活の充実と自立支援のための活動」、「多様な遊びや体験活動」、「地域交流の活動」、「こどもが主体的に参画できる活動」の4つの基本活動が複数組み合わせて行うことが求められている。これたら従来のガイドラインからの4つの活動の具体的提供こそ、放デイサービスガイドラインの中心となるべきであったと考える。
(4)インクルージョンに向けた取組を推進する観点から、放課後クラブ等への移行等への取組むとされている。個別支援計画において、具体的な取組等について記載し実施するものでるが、ほとんどなされてこなかった取組みに期待する。
(5)放デイの提供体制として、従来からある「自己評価の実施・公表・活用」のみならず、新規に「支援プログラムの作成・公表」が加わった。これは、サービスの質の向上のために、具体的な内容が重点化されたものである。
さいごに
権利擁護として、虐待防止の取組み、身体拘束への対応、権利擁護に関する研修会を実施するなど、こどもの人権や意思を尊重した支援を行うとされている。児童福祉法の改正においては、こどもの意見聴取等措置の義務化、意見表明等支援事業の創設が行われ、こどもの権利擁護に係る環境整備が都道府県等の業務として明記された。今回の放デイガイドラインに、障害のある子どもの意思決定支援の具体的な内容が入っていないのは残念である。